自己紹介

自己紹介させてください♪(社会人時代①)

“何かカタチに残る仕事をしたい”という想いから、

住宅の世界に飛び込みました。

 

最初は、販売店で仕事をしました。

 

(写真はイメージです)

 

大工さん、工務店さん相手に

建材を買っていただく営業マンです。

 

これまで全く関わることの無かった

職人さんの世界。

 

社会人1年目はカルチャーショックの連続でした。

 

現場で怒鳴られるのは当たり前。

ただ、最初の頃は何故怒鳴られたのかも

わからないようなダメ営業マン・・・

ダメ社会人でした。

 

これまで自分が経験した事がなかった

人たち(職人さん)との関わりは、

生きた社会勉強になりました。

 

住宅のイロハを

叩きこまれたのは

この時代でした。

 

 

 

“どうせやるなら

下請け仕事ではなく

元請けの仕事をやってみたい”

という想いが強くなりました。

 

そこで、住宅営業の世界へ転職しました。

 

就職したのはFハウス。

前職の時の知識を頼りに、

「木造建築でしっかりとした構造の住宅会社は無いかな?」と

探して見つけたのがFハウスでした。

 

 

Fハウスはいわゆるブラック企業でした。

(だいぶ前に倒産してしまいました)

 

『日本で一番素晴らしい構造の住宅を扱っている!』

『それなのに売れないのは、お前らがたるんでいるからだ!』

『そんな奴は、休みを取ったらダメだ!』

 

このような三段論法がまかり通る、

今から考えると恐ろしい会社でした。

 

夜中の12時まで仕事をするのは当たり前。

夜の9時まで、アポなしで訪問するのは当たり前。

契約取れなかった翌月、休み無しは当たり前。

 

このような状況で約8年間、勤めました。

私自身、上記のような考え方は当然だと

思っていました。

 

それを考え直さないといけない状況が出来ました。

それは・・・結婚でした。

 

結婚して半年後ぐらいに、

妻から言われた言葉で目が覚めました。

 

『私はあなたの家政婦になりたくて

結婚した訳ではない!』

 

そりゃそうです。

結婚したばかりの旦那が

毎日毎日、午前様。

休みもあるかどうか分かりません。

二人でどこかへ出かける事も出来ません。

 

離婚を切り出されそうな雰囲気を察知し、

転職することを妻に約束しました。

 

その頃、破竹の勢いで伸びている

住宅会社がありました。

 

Tホームです。

 

(写真は懐かしの御殿場店です)

 

Fハウス時代の同僚が

Tホームに転職していて、

会社の話を聞いていました。

 

「藤井さんやったら、毎月1棟は普通に

受注できるよぉ~」

 

「18時には帰れるよぉ~」

 

「Fハウスよりも稼げるよぉ~」

 

そんな甘い言葉を頼りに

Tホームへの転職を決意しました。

 

またまた長くなってきたので、

Tホーム時代のお話は

次回に!!


自己紹介させてください♪(誕生~学生時代まで)

起業して早くも半年経ちました。

(2018年7月 時点)

 

最初の3か月は、

「アルバイトしている方がええんちゃう?!」

という状況でしたが

ようやく、生活出来るレベルになってきました。

 

お仕事をさせて頂いた皆様に

感謝感謝です!!

 

これからも

少しでもお役に立てるよう

頑張ってまいります!!

 

私がどんな人間なのか、

自己紹介を交えてまとめてみました♪

 

以下、

ご覧ください!

 

♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆

 

昭和47年7月20日生まれ。

今年で早くも46歳です!

 

年を重ねるたびに

時間が早く過ぎていく

感じがあります。

 

私の中では

まだ20歳台ぐらいの

気持ちです!

 

 

 

生まれは大阪の堺市です。

父親が転勤族で、あちこちに

行きました。

 

堺市は3歳頃までしか

いませんでしたので、

ほとんど記憶にないです。

 

その後、東京都の清瀬市に。

団地の前に広がていた

森のような所で

良く遊んでいた思い出があります。

 

小学校に上がるタイミングで

千葉県の柏市に引っ越しました。

 

(画像はお借りしました)

 

その頃から父が趣味にしていた

クラシックギターを

教わるようになりました。

 

子供の頃は嫌で嫌で

たまりませんでしたが・・・

 

小1から

少年野球を始めました。

あまり上手では無かったですが、

体を動かずことは好きでした。

 

小6の時に

またまた父の転勤で

マレーシアのクアラルンプールへ!

 

初めての海外体験です。

 

(画像はお借りしました)

 

その頃のマレーシアは

発展し始める前でした。

 

空港に到着して

ホテルまでの移動途中、

きれいに整備された道路の近くで

バラックが立ち並んでいたのを

今でも良く覚えています。

(画像はお借りしました)

 

中二のタイミングで帰国し四日市へ。

そこで中学校、高校、

大学の2回生まで生活しました。

 

高校生の時に

合唱との出会いがありました。

 

幼少時から

クラシックは好きで

シンフォニーを好んで聴いていました。

ただ、合唱はそれほど興味を持ったことは

ありませんでした。

 

高校入学が決まった時に

母の知り合いから

入学する高校の音楽部(合唱部)の

コンサートチケットを頂きました。

 

それを聴きに行き

「こんな世界もあるんだぁ!!」と

感銘を受けました。

 

入学と同時に即、

音楽部(合唱部)の門を叩きました。

 

「入部したいのですが・・」と

初めて伺った時の

先輩たちの驚いた表情を

今でも覚えています。

 

 

高校では学業よりも

音楽部での活動に注力していました。

 

 

みんなで作り上げていく音楽の世界に

どっぷりとはまっていました。

 

大学では

男性合唱団があったので

迷わず入部しました。

 

 

(画像はお借りました)

 

たまたま、大学の合唱団の

客演指揮の先生が

ヴォーカルアンサンブルESTの

指揮者でもある向井先生でした。

 

創団間もないESTにも加入し

ますます合唱づけの日々を

送っていました。

 

大学3回生の時に

父がまたまた転勤。

今度は秋田県です。

 

こうして大学近くで

一人暮らしをスタートしました。

 

大学でも学業よりも

音楽が中心の生活は変わりません。

 

そのころ、たまたま聴いた

クラシックギターに感銘を受け

ギターの魅力を再発見しました。

 

南米のヴィラロボスの曲を

弾けるように練習し始めました。

 

ギターは今も続けています!

 

大学生活も終盤を迎え始める頃、

将来どのような仕事に就くか

明確な夢や希望はありませんでした。

 

なんとなくですが、

「形に残る仕事がしたい」

このような思いがあり

建築の世界へ。

 

色々な経験をしました。

 

♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆♪♪♪☆

長くなってきたので、

社会人時代は次回に!